ナカピラのプロフィール

 

こんにちは、ナカピラです^^

1981年2月生まれの『松坂世代』、宮崎県出身です。

 

  • せどりは2015年11月からスタート
  • 店舗せどりメインで週3で活動
  • 平均月利は100万円ほど
  • 有料せどりコミュニティ運営
  • 雑誌に載った経験あり
  • せどりブロガーとして活動中

 

ナカピラの今

せどり・ブログ・アフィリエイトにコミットし、せどり初心者のために、有益な情報を発信し続けています。

 

せどりコミュニティ運営中

2020年9月より、初心者向け・中上級者向けのせどりコミュニティを運営しています。

 

おかげさまで”有料”にもかかわらず、総勢22名のメンバーにご参加いただき、毎日楽しく運営中です。常時メンバー募集していますので、気になる方は下のリンクで詳しい内容をご確認ください。

≫せどりコミュニティの案内【初心者向け・中上級者向け】

 

実績紹介・雑誌掲載・講演紹介

実績紹介・雑誌掲載・講演紹介

2019年度売上実績

だいたい4千万円くらい。粗利で30%ほど、ボチボチやってます。

 

 

副業雑誌・BIG TOMMOROWに登場

夫婦で副業!めざせ1億円に登場しました^^

 

 

クラスター長谷川主宰『せどりフェス』に登壇しました

せどりセミナーにて、初心者向けに『店舗回収せどり』をレクチャーしました。

 

 

こんな感じで活動しています。ちゃんと実在してますので、信頼性はあるかと思います🙇‍♂️

 

ナカピラの経歴【意外と底辺ギリギリでした】

ナカピラの経歴【意外と底辺ギリギリでした】

 

過去の経歴

  • 18歳:高校卒業し、北海道・釧路公立大学へ入学
  • 22歳:福岡県の靴卸売商社に就職
  • 29歳:英語を学ぶため、単身NZへ留学
  • 31歳:IT業界に転職するも、半鬱になり退社
  • 32歳:大手食品会社関連企業に再転職
  • 34歳:妻の妊娠を機に副業せどり開始
  • 37歳:会社を退職し専業になり、今に至る

 

福岡で妻・娘3人と幸せに暮らしています。サラリーマン時代と比べ、収入が上がったのはもちろんですが、自由に人生の時間を使えていることに満足しています。

 

これまでの人生

  • 給料:手取りで20万円以下
  • 仕事:やりがいはあったが、出世の芽はない
  • 家族:幸せだが、経済的に不安を抱えていた

 

30歳超えて手取り20万円以下、ひどい時は15万円切ってましたね。プロ野球球団を持つ大手食品会社でしたが、会社の底辺はこんなものです。

 

ただ、残業がほとんどなかったのでそこが救いでした。この時間を活かすことで、せどりで生活できるまでになったので、今は感謝しています。

 

このように、今のところ運良く幸せに暮らしています。

 

ここにたどり着くまでは、本当に辛かったですね。そんな『昔話』をちょっと紹介したいと思います。

 

ある意味、勇気づけられると思いますので、読んでもらえると嬉しいです。

 

無駄にした大学4年間

地元・宮崎の高校を卒業し、自由になりたい一心で北海道の大学へと進学しました。

 

この4年間で覚えたこと【寿司とウイイレ】

サークルにも入らなかったので、大学の友達よりも、バイトの仲間といつも一緒に遊んでました。

 

朝の8時にバイト先へ行き、夜中の12時まで働く生活が続いてましたね。大学のはほぼいかず、必修単位の授業があるときだけ行っていた感じです。

 

今思うと、親に申し訳ない一心です。

 

バイトなのに客の前で握るまでどハマりする

バイト先の鮨屋に入り浸っていたため、皿洗いから始まった仕事はみるみるうちにその幅が広がっていきました。

 

魚を裁くのも、寿司を握るのも楽しかったし好きでしたね。

 

職人さんから包丁の使い方や”ネタ打ち”と呼ばれる寿司ネタの作り方、汁物の仕込みやシャリの調合まで、ありとあらゆることを学びました。

 

今でも年末などは家族にその腕を振る舞い、喜んでもらってます。父親が大の寿司好きだったのが影響したのかもしれません。

 

バイトから帰ると、バイト先の仲間と毎夜のウイイレ大会

この頃ハマっていたゲームが、ウイニングイレブンというサッカーゲームでした。

 

高校の頃、同級生がやっていたのを横目で見ていただけでしたが、大学に入ってやらせてもらい、いつの間にかどっぷりハマってしまった感じです。

 

「俺、強いっすよ!」

 

こんな感じで後から入ってくるバイト君や、その友達たちが次から次へと私に挑んできました。

 

しかし、勝利。

 

なんかゲームは上手かったようです。この噂が大学内でも広がり、他の友達グループからも果し合いを申し込まれたりもしました。

 

今思えば、このウイイレをきっかけに大学内での友達付き合いが一気に拡がっていった感じです。

 

自慢じゃないですけど、果し合いにも全勝しました。そのおかげで、”北の王者”と呼ばれるようになりました。あんまりかっこよくないですけど。笑

 

今振り返っても本当に無意味な4年間だった

「大学で何してた?」

 

そう聞かれても、寿司のバイトとウイイレとしか答えようがありません。本当に無駄な4年間でしたね。

 

就職も1社内定もらったら安心したのか、もっと良い会社を!という風にはならなかったです。

 

就職氷河期でしたので、「これでいいや」で終わっちゃった感じです。もったいなかったですね。

 

ある意味、転機になった最初の勤務先

「九州の戻りたい」

 

そう思って内定もらったのは福岡県・北九州市にある靴の卸売商社でした。

 

本当は親友が住んでいる福岡市近郊の会社に就職したかったのですが、これもまた妥協した形です。

 

この頃から、「なんか人生、思うようにいかないな。いつも行きたい場所とは少しズレる」と思うようになりましたね。

 

なぜか、2番…そんな感じです。

 

総支給15万、ボーナス15万、昇給500円の絶望

こんなものかとは思っていましたが、昇給500円には目を疑いました。

 

1年頑張って成長したつもりでも、自分の評価は去年の自分と比べて500円プラスレベル…

 

「いや、頑張ればなんとかなる!」

 

この頃は、ただ出世することだけを夢見た企業戦士だったですね。おそらく、サラリーマンの方の頭のどこかにこの考えあるんじゃないでしょうか?

 

私の経験から言えることは、この考えは間違ってますね。ただただ、いいように使われていたとしか、今では思えません。

 

まぁ、能力ももちろん低かったのでしょうが。笑

 

給料は安いが仕事量は増える

「会社初の20代でのスポーツ担当」

 

そんな言われ方をしたのは、入社して4年目が過ぎた頃でした。ある程度経験詰むと、この会社では「仕入れ担当」と言われる大役を任されるようになります。

 

靴にもいろいろ分類があって、スニーカーや革靴、婦人靴、ヘップ・スリッパと呼ばれるもの、他には学校用の体育館シューズなどですね。

 

まさかのスポーツ仕入れ担当に抜擢される

花形はブランド部門と言われる、スポーツシューズの担当でした。

 

私が担当する前までは、会社のエースである直属の課長が担当していたカテゴリーです。

 

「ナカピラ、お前スポーツ仕入れ担当な」

 

こう言われたときは、嬉しかったですね。なんせ会社の花形、社員が履いているスニーカーも私の一存で値段を決められる権限が与えられるんです。

 

他にも年間に仕入れる金額が軽く”億”を超えるようになります。給料は相変わらず全然上がりませんでしたが、こんな風に仕事のモチベーションはきっちり上げてくれる会社でした。

 

人生の転機ともいえるネット販売との出会い

会社でECサイトを作ることになり、そのスタートアップメンバーとして参加しました。

 

理由は一番若かったから、それだけです。笑

 

とにかく、ハマった

週に3回ほど、制作依頼している会社に行き、HTMLの基礎知識を勉強するのですが、楽しかったですね。

 

自分の書いたコードがウェブ上にアップされ、それを読んだ人が商品を買ってくれる・・・。

 

もちろん、自分のライティングスキルが高いから売れるわけではなかったですが、それでも『ネットで商品を売る』ことにどハマりしました。

 

本当にやりたいことはなんだ?

30歳を手前にして、これからの人生を考えるようになしましたね。

 

「本当にやりたいこと、人生かけてやりたいことはなんだ?」

 

そう思ったとき、頭にあったのは2つのことです。

  • インターネット販売
  • 海外に行って生活してみたい

 

これまで海外に行ったことはなく、漠然とした憧れが自分の中にありました。

 

これまでは会社勤めで長期の旅行なんか行けなかったので、いつか行きたい、辞めればいけるな、という考えが強くなっていきましたね。

 

29歳で愛車を売り、ひとりNZへ

めちゃくちゃ不安でしたけど、「これを逃したらチャンスはない!」と言い聞かせ、7年勤めた会社を後にしました。

 

イチから出直すため、新車で買った車も手放しました。

 

最後の送別会の日、社長に二次会へと連れていってもらったのですが、そのとき同行したのが当時事務員していた今の嫁です。

 

別に口説いたつもりはなかったのですが、どうやら私はそのとき嫁を口説いたようでした。汗

 

結局、会社を退職した私を追って宮崎の実家に押しかけ(いや、嫁に言わせたら「読んだのはあなた」と言われるのでしょうが…)、遠距離恋愛覚悟での付き合いが始まったのでした。

 

恥ずかしいので、この話はこの辺で。汗

 

笑われながら学んだ日常英会話

嫁との付き合いが始まって1ヶ月後にはNZへと旅立ちました。予定では1年、その間会うことはできません。

 

なんかこう思い返すと青春ですね。笑

 

1ヶ月通った語学学校で再び絶望

恋話から話は変わり、NZでは1ヶ月間のホームステイと、語学留学を頼んでました。

 

ステイ先ではブラジル人のマノエルくんと一緒に過ごし、語学学校へも一緒に通いました。

 

語学レベルは小学1年生

入学すると最初に試験があるのですが、受けた結果は『小学生低学年レベル』という厳しいものでした。

 

振り分けられたクラスでは、中学1年生が習う基本的な英語のみの授業。

 

正直、絶望しました。

 

「これじゃあ、英語は上達しない」

 

そう思った私は、延長できる学校の授業を1ヶ月で切り上げ、仕事を探すために求人サイトの募集を読みあさりました。

 

30歳、BPの掃除夫として働く

NZには日本人向けの情報サイトがあり、そこで仕事を探すことが可能です。私が受けた掃除夫のような仕事から、会社で働く仕事までさまざまです。

 

小学校低学年レベルの語学力しかなかった私は、インド人の経営するバックパッカーホステル(BP)の掃除夫として働くことになりました。

 

もちろん、英語での面接アリ。

 

めっちゃ緊張しましたが、もともとインド人の経営者で過去にたくさんの日本人を採用していたため、意外とすんなり住み込みで働くことができました。

 

英語を学ぶため、客に下手くそな英語で話しかける

掃除だけしていても、英語は上達しません。

 

そう思った私は、10時からスタートする掃除を2時間で終わらせ、午後から泊まりに来ていた客に片っ端から話しかけました。

 

とはいえ、私の英語力は小学校低学年レベル、鼻で笑われ、相手にされないことも少なくありません。

 

悔しかったですね。ただ、そのレベルだったってことですよ。

 

それでもなんとか日常会話は・・・マスター?する

ヘタクソでも毎日話していたら嫌でもうまくなります。

 

働き始めて2ヶ月が過ぎた頃、そのタイミングでマネージャーへの昇格話が舞い込んできました。

 

理由は、これまで他のスタッフを束ねていたドイツ人のエリックがマネージャー職を辞めたいと言ってきたからです。

 

住み込みで給料もらいながら働いていたものの、休みはありません。

 

毎日仕事しなければいけませんし、BP自体の運営もほぼ任されてたので大変だったのでしょう。

 

エリックが辞めたい理由は、なんとなく想像つきました。

 

もちろん、快諾

とはいえ、私はチャンスだと思ったので快諾しました。

 

マネージャーになるメリットは3つあります。

  • お客さん全員と話す機会が増える
  • BPの実質的なボスになれる
  • 給料も少し上がる

 

もともと観光ではなく、英語力を身につけるのが目的だったので、会話の機会が増えることは大歓迎でした。

 

ただ、やらなければならないことは格段に増えます。

 

  • 客のチェックインとチェックアウトの管理
  • 観光地の説明
  • 他のスタッフの管理、作業チェック
  • シャトルバスの電話予約
  • 客同士の問題が起こった時の仲裁、などなど

 

最初は震え上がっていましたが、なんとか数こなせばうまくいくようになります。

 

お客さんもマネージャーといえば一目置いてくれますし、他の日本人スタッフも快適に生活できるよう、オーナーとも交渉しやすくなります。

 

英語を学ぶつもりで入ったBPでしたが、ほんと楽しかったですね^^

 

『遊びながら働く』というのをこの時はじめて実感した気がします。

私が働いていたBPはこちら

 

半年で半鬱になり、逃げ去ったIT業界

海外留学を終え、日本に帰った後は、念願だったIT業界へと転職することができました。

 

本当はエンジニアとして入りたかったのですが、そのスキルがなかったため、営業としての転職です。

 

テレアポに過剰なアレルギー反応

明るい未来を夢見て入った会社も、現実はそんな簡単なものではありませんでした。

 

以前勤めていた会社で行っていた営業は『ルートセールス』といって、いわゆるお得意先周りがメインの業種です。

 

しかし、このとき入ったweb制作会社は新規獲得メイン。

 

いわゆる飛び込みやテレアポを生業とし、数かけまくって契約を取るスタイルです。

 

電話恐怖症になる

「毎日最低100件、これがノルマね」

 

1日中事務所に缶詰にされ、目の前に専用の電話とリストを並べられる日々が始まりました。

 

結果は1日30件が限界でしたね。汗 本当に電話するのが恐怖でした。

 

なんかこう、断られるのが嫌なんですけど、「ガチャ切り」されるのがとにかく嫌でしたね。

 

当然、成果は上がらないので会社での居場所はなくなってしまいました。

 

希望を胸に足を踏み入れたIT業界でしたが、半年で半鬱(診断されたわけではありませんが、おそらくそんな感じ)で自主退社しました。

 

人生で初めて挫折した瞬間です。

 

結局、振り出しに戻った再転職先

「起業か、再転職か…」

 

父親にはそう言われましたが、お金も底をついていた私に起業の道はありませんでしたね。

 

もちろん、起業するスキルもあてもありませんでしたから。

 

結局、ルートセールスを再び選択

選んだ際転職先は、大手食品会社の子会社(水産関連)でした。

 

大学時代に身につけた寿司の技術・魚の知識が少しは役に立つかな、と思って受けた感じです。

 

期待されて花形営業所へ配属

さすがに『テレアポで精神病むレベルに挫折』なんて履歴書に書かないわけで、それまでの経験や海外での語学留学という文字を並べただけで、花形営業所である福岡営業所へ配属されました。

 

言葉の力ってすごいですよね。汗

 

福岡営業所では、所長の口座をいきなり担当。

 

予算も九州ナンバーワンの数字を持たされ、その期待度は半端じゃなかったです。

 

当然、挫折

また挫折です。笑

 

水産業の知識はない上に、バイヤーとの昇段がうまくいくはずがありません。しかも、福岡営業所は誰もが認めるパワハラ職場。

 

「ナカピラ、ちょっと来い」と呼ばれて別室に行き、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられる日々が続きました。

 

お客さんの依頼を断りきれず、コンプラ違反で左遷

会社での立場は最悪でしたが、お客さんとの関係は良好だったと思います。

 

そんな中、素人同然の私を可愛がってくれたバイヤーの依頼を断りきれず、コンプライアンス違反をしてしまいます。

 

商品成分一覧を自分で作成

食品の裏にある表示ラベルありますよね?

 

あれを自分で作り、お店に納品したらコンプライアンス違反に引っ掛かり、大問題になりました。

 

後で知ったことなのですが、表示順にもルールがあり、制作も会社の専門部署でしか作れないルールがあったとのこと。

 

「そんなことも知らないのか」と上司に大目玉くらいましたが、良かれと思ってやったこと、もう後の祭りです。

 

使えないレッテル貼られ、熊本へ左遷

それから1週間経たなかったと思います。熊本への左遷が告げられました。

 

私自身もモチベーション最悪でしたし、これは良い機会だと思って素直に受け入れました。

 

左遷されたこともわかってます。

 

会社で最低の営業所に配属ということで、将来がないことも同時にわかっていましたが、この気が滅入る環境にいるよりかは楽になると思い、プラスに受け止めました。

 

以上がせどりを始める前までの経歴になります。

 

正直、雑魚もいいところでしたね。汗

 

2度の挫折を味わい、底辺をウロウロする感じだったわけです。ここから嫁の妊娠・長女の誕生とともに人生が好転していくわけですが、その内容についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。

 

よかったら参考にしてみてください。

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